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東京地方裁判所 昭和49年(刑わ)593号 判決 1976年10月15日

主文

被告人両名は無罪。

理由

一  本件公訴事実の要旨および主な争点

本件公訴事実の要旨は、被告人両名は、ほか多数の者と共謀のうえ、昭和四九年一月二三日午後六時三〇分ころから翌二四日午前九時ころまでの間、東京都江東区塩浜一丁目三番三号所在山谷対策一時収容援護施設本館一階物置内において、同都の所有で同都民生局山谷対策室長小野田康久管理にかかる男物下着二〇九組を窃取したというのであるが、被告人両名は、昭和四九年一月三一日逮捕されて以来、いずれも捜査段階においては被疑事実について黙秘し、公判廷においては、弁護人らとともに、一貫して右事実を否認し、真犯人は別にいるとも主張した。

検察官が主張する本件犯行の態様は、検察官の釈明、冒頭陳述および提出証拠の内容によると、右公訴事実記載の場所は東京都が山谷地区の失業日雇労働者を収容していた施設であるが、昭和四九年一月二三日に同施設の職員が一部収容者の不穏な行動を恐れて全員同施設から引き揚げて不在となった同日午後六時三〇分ころから、収容者に対する退去命令の刻限である翌二四日午前九時までの間において、同施設本館一階の物置内にダンボール箱二個に入れて保管されていた男物下着二〇九組(メリヤスのシャツ二枚、ズボン下一枚、パンツ一枚を一組とする。)が紛失したところ、これは被告人両名が当時同施設内にいた収容者に順次ダンボール箱内から取り出して配ったのであって、公訴事実記載の多数の共謀者とは、すなわち右の下着を受取った収容者に外ならず、そのうち氏名が判名した者はC、D、E′ことE、F、G、H、I、J、K、Lの一〇名であるというにあると認められる。右共犯者一〇名のうち証人として取調べることができたのはI、F、Hの三名のみであり、その外の七名は住居が不明または不定のため、更に右F、Hの両名については供述内容が相反するとの理由により、検察官に対する供述調書が取調べられた。

当公判廷において取り調べた証拠を総合すると、被告人両名は、東京都台東区清川、日本堤一帯の所謂山谷地区に居住していた日雇労働者であり、同地区等に居住する日雇労働者の雇用確保、悪質手配師の追放、日雇労働者の生活環境の向上等を唱えていた所謂悪質業者追放現場闘争委員会(通称現闘委、以下現闘委という。)の構成員又はその主張に同調していたものであること、前記収容施設は、冬の間生活に困窮している山谷地区の失業日雇労働者を収容し、その生活を保護援助する目的で東京都によって設けられ、管理されていたもので、被告人両名は、昭和四九年一月一八日ころから、それぞれ所定の手続を経て入居し、以来同月二四日朝まで同所に居住していたこと、同月二三日(以下、当日という。)午後同施設の職員全員が収容者の一部が不穏な行動に出ることを恐れて同施設から引きあげた後、翌日都職員らが入って調査するまでの間に本館一階物置内において、同所にダンボール箱二個に入れられ保管されていた下着二〇九組が盗まれたこと、右被害の相当数は何者かがダンボール箱から取り出して収容者に順次配ったもので当時同施設内にいた約一四〇名の収容者の大半がこれを取得したことが認められ、弁護人らも概ねこの点を争わない。

そこで被告人両名が下着を配った窃盗犯人かどうかについて検討するが、被告人両名を犯人とする証拠としては、被告人B又は同Aから下着を配ってもらったという内容のF、H、C(二通)、D(三通)、E′ことE(二通)、G、J、K、Lの検察官に対する各供述調書(計一三通)および証人Iに対する裁判所の尋問調書(二通)があり、これに対して弁護人は、被告人両名とは別の者から下着を配ってもらったという内容の証人F、同Hに対する受命裁判官の各尋問調書、第一二回公判調書中の証人Mの供述部分、更に前記犯行時間内の一部につき、被告人Bのいわゆる現場不在等を内容とする第一三回公判調書中の証人浅野健一の供述部分、その他証人Nの当公判廷における供述等を援用するので、以下においては、前記犯行時間内における施設内の状況、その間の被告人両名特に同竹内の行動を関係証拠により明らかにし、同被告人について犯行が可能であった時間を明らかにしたうえで、前掲検察官に対する供述調書一三通の信用性、Iの供述の信用性について逐次検討することとする。(以下証拠の引用は、検察官に対する供述調書は検面調書と略し、証人に対する裁判所又は受命裁判官の尋問調書および公判調書中の供述部分、当公判廷における供述につき、いずれも供述という。)

二  当日夜の被告人Bの行動および同施設内の状況

≪証拠省略≫を総合すると次の事実を認めることができる。

1  被告人Bは、午後六時すぎころ本館一階食堂内で他の収容者とともに夕食をとり、引き続き同所で就職のあっせん、施設内の待遇改善等を求めて当日同被告人が行なった東京都側との交渉経過等について他の収容者に報告する等のため集会を開いていたところ、午後七時三五分ころ、警察官ら数十名が施設出入口付近に到着し、同行した同都山谷対策室長から収容者に対して、翌二四日午前九時までに施設外へ退去せよとの退去命令が告げられ施設内は騒然となったので、集会をやめ、食堂を出たが、同被告人は夕食後それまでほとんど食堂を離れることはなかった。

2  その後、同被告人は午後八時半ころから、施設内の状況を取材に訪れた約一〇人の新聞記者の求めにより本館一階食堂内で記者会見に応じ、約三〇分間にわたって当日の都側との交渉経過等について説明し、午後九時ころ記者会見を終えたが、次いで同所で、そのころ遅れて取材のため訪れた、以前から面識のある共同通信社の浅野健一記者と話し始め、退去命令が出るに至った経緯等を説明し、午後九時半ころNHKのカメラマンの求めに応じて右カメラマンが施設内の状況を写真撮影するのを案内した間数分間食堂の外へ出て話を中断したほかは、以後午後一〇時すぎまで食堂内で同記者と話し続け、食堂を出ることはなかった。

3  その間午後一〇時少し前ころ、一人の収容者が新しい丸首シャツ二枚を着て食堂内に現われた。

4  午後一一時半ころ、浅野記者が取材を終えて施設を出る際被告人Bは映画の映写機材を運んで同記者の自動車にのせ、これを山谷まで運んでもらった。

以上認定の事実を前提とすると、少なくとも被告人Bについてその犯行可能な時間は、前記犯行時間のうち、午後七時三五分ころ警察官らが到着したころから午後八時半ころ記者会見が始まるまでの間および午後一〇時すぎころ浅野記者と別れてから午後一一時半ころ同記者と再び会うまでの間またはそれ以後翌朝までの間ということになるが、午後一一時半以降については、後記のとおり下着が配られたことを窺わせる証拠はないので、結局午後七時三五分ころから午後八時半ころまでの間、および午後一〇時すぎころから午後一一時半ころまでの間が、同被告人の犯行可能な時間であったことになる。尚被告人Aについては、前記犯行時間内に施設内にいたことは証拠上明らかであるが、その行動の詳細については明らかでない。

そこで、これらの事情および、すでに前記一で明らかにした事実をもとに、まず前記Fほか八名の検面調書一三通について検討することとする。

三  Fほか八名の者の検面調書一三通の信用性

右検面調書一三通の内容は、概ね、いずれも当日夜被告人B又は同Aが物置内で下着をダンボール箱から出して同所付近に並んでいた収容者にこれを配り、右九名の者もそれぞれ列をつくって順次これを被告人両名のいずれかから受け取ったというものであるが、右Fら九名が当日このようにして下着を取得したことは証拠上ほぼ認められるところであるから、以下これを前提にして、配った犯人が被告人両名であるとの点につき、これを信用しうるか否かについて検討する。

右各検面調書によると、右九名の者がいずれも捜査官から被告人両名の写真を見せられ、なかには更に面通ししたうえで、犯人を確認していることが窺われ、また右九名の中には、被告人Bの人相を指摘したり、同Aの顔を前もって知っていたり、また当日および翌日の同被告人の行動を指摘する者もあり、更にF、Hの各供述によれば、両名は警察官および検察官から写真約一〇葉を見せられ、そのうちから本件下着を配った犯人として被告人両名の写真を選んだことが認められ、右両名に対する検察官の取調につきその供述の任意性を問題としなければならないような状況は窺えないことから、たとえF、Hが後の証人尋問において先きの供述を翻したとしても、それは被告人両名の目前で被告人両名を犯人として指示するのが心理的に困難であったからであるとも考えられるので、右検面調書がより信用に値するようでもある。

しかしながら、下着を配った犯人が被告人両名であるという点については、以下に判示するとおり、右九名の検面調書のみでこれを直ちに信用できるものとすることはできないと考えざるを得ない。

右各検面調書の内容のうち下着を受けとった時刻について、早いものは午後八時半ころ(K)、遅いもので午後一〇時半ころ(F、E)となっており、その間各供述者によって時刻がまちまちであるが、下着を受けとった際の状況については、ほとんどの場合一〇名以上の者、多いときは四〇名程度の者が列をなしており、自らも列に加わって順次下着を配ってもらったという内容になっており、これによれば下着は収容者達に連続的に配られたものというべく、収容者約一四〇名のうちの大多数の者にこのようにして下着が配られたとしても、それは長くても三〇分もあれば終了すると考えられる。そうとすれば、そもそも下着を受けとった時間が、このようにそれぞれ大きく異なっているのは、単にそれだけでは下着を配った犯人の同一性についての供述に対し疑を生じせしめるほどのものではないかもしれないが、後述するとおり、被告人Bについて右の犯行時間帯の一部に現場不在の可能性があることに照らしても、各検面調書の供述内容全体の信用性について疑念を抱かせるものであるといわなければならない。

また、右九名の者が下着を配ってもらった際の状況について検討すると、≪証拠省略≫を総合すると、廊下を隔てて物置の向い側にある事務室には螢光灯がついていたが、物置内には照明がついておらず(その出入口付近の廊下については、J、D、Eの検面調書は照明があったとなっているが、I、Mの各供述に照らしてにわかに措信できない。)、物置の出入口の引戸が半分開いた状態で、その幅は七、八〇センチメートルくらいしかなく、そこに収容者が並んでいたため物置内は相当暗く、またその中にはロッカー、机等が置かれていたため、人間数人が中に入ると既に狭い状態であり、そのようなところで列をなした収容者が順次下着を受け取っていたことが認められ、このような状態の中では、配られる下着を受け取ることに格別のやましさを感ぜず、そして下着を配っている人物の人相等について特に関心をもっていなかったことが窺える右九名の者にとっては、下着を配った人物の人相等を正確に知覚するのは極めて困難な状態にあったものといわなければならない。

右検面調書一三通は、いずれも右九名の者が当初捜査機関から本件窃盗の共犯者として取調べを受け、その過程において、しかもC、Dの各検面調書は被告人両名の逮捕当日に、その余は被告人両名が逮捕された日以後に作成されたもので、そのうちF、Hの各検面調書は、両名がいずれも受命裁判官の尋問に対して、一転してその供述を翻し、犯人は被告人両名ではなく別の者であると供述するに至ったので、これと内容が相反するものとして取調べられたのであり、他の七名の者の検面調書はいずれも供述者が山谷地区の日雇労働者でその居住場所が一定でなく、その所在が不明であるところから取調べられたものであって、このような各検面調書の作成経過、本件審理における取調経過、本件事案の性質等に徴して既に被告人両名が下着を配った犯人であると見込んでいた捜査機関に対し、共犯者として取調べられたこれらの者が迎合的に供述した疑が全くないとはいえず、その証拠価値を過大に評価することができない。

以上は、犯行時刻の点以外については、被告人Bについてのみならず、同Aについてもいえることであって、結局右検面調書一三通によって直ちに被告人両名を下着を配った犯人であると断定することはできないというべきであり、右検面調書中犯人の同一性についての供述の信用性は、他に信用し得る的確な証拠によって裏付けられるか否かにかかるものといわなければならない。

四  Iの供述の信用性

Iの供述によると、同人は、当日午後一一時少し前ころ本館一階へ降り、物置付近へ行ったところ、そこには約一〇名の収容者らが列になって並んで一人づつ物置内で下着を渡されていたので、同人もその後に並び、物置内の少し入ったところで被告人Bから下着を受けとったが、その際同Aは、物置内の出入口付近に立っていたとなっており、右供述は、被告人両名の反対尋問を経たものである。

右供述についても、前記各検面調書と同様、同人が当日夜下着を何人かから配ってもらったことは疑う余地がなくただ配った犯人が被告人両名であるか否かが問題となるところ、前記各検面調書の場合と異なり、右供述によれば、同人は昭和四九年一月二〇日ころから本館二階の部屋で被告人Bと同室し、その間同被告人と囲碁をしたり会話を交わしたりしたこともある等同被告人の顔を熟知しており、また被告人Aについても、言葉を交わしたことはなかったが施設内における同被告人の行動は記憶に残っていたことが認められ、従って右供述は瞬間的に犯人を目撃しただけの通りすがりの証人のそれとは自らその性質を異にし(従って、この点に関する弁護人の指摘は当を得たものとはいえない。)、しかも右供述中には下着を配ってもらったのは午後一一時少し前ころとあり、この時刻がほぼ正確なものとすると、前示二のとおり、これは被告人Bの所在が明らかでなく、本件犯行が可能な時間内であったことになり、しかもIは、被告人Bらの所属する現闘委の運動方針等に対し特に批判的で反感をもっていたことも窺えず、むしろ被告人Bに対しては親しみすらもっていたことを窺えることに徴すれば、捜査機関に対してのみならず、裁判所の証人尋問に際しても一貫して下着を配った犯人は被告人両名に間違いない旨の同人の供述は、その信用性は極めて高いといわなければならない。

しかしながら、以下に述べるとおり、Iの供述についても、下着が配られた時刻との関係、犯人の目撃状況、それに本件審理の過程、本件事案の性質等に鑑みると、Iが犯人を見間違い或は同人が記憶違いをしている可能性を完全に払拭することできない。すなわち、下着が配られた時刻について更に検討すると、浅野記者の供述を信用する限り、前示二の3のとおり、当日午後一〇時前ころ、同記者が被告人Bらと食堂内で会話中に、新しい丸首シャツ二枚(本件被害品であると推認される。)を着た収容者が食堂内に入ってきたことがあり、これによると既にそれ以前に被告人B以外の何者かによって下着が配られていた可能性が強く(もとより右収容者が単独で窃取した可能性、あるいは午後八時半以前に被告人Bが配った可能性も否定できないが)、そうすると既に指摘したとおり下着はせいぜい三〇分以内のうちに連続的に配られたとすると、そのころ配り始められたと仮定して、遅くとも午後一〇時半ころには、下着を配る行為は終了していることになるが、この点Iの供述内容と対比してみると、まず下着を配ってもらった時刻が符合しないといわなければならない。これは前掲各検面調書中の下着を配ってもらった時刻に比してもいえることである。またこの点は、Iに正確な時刻の供述を期待するのは困難であるからやむを得ないとしても、それではもう少し早い時刻に配ってもらったとした場合は、前示のとおりの被告人Bの犯行可能時刻でなくなる可能性があり、そうでなくても被告人Bが浅野記者と別れた後、前記の既に下着を配っている者と代って、あるいはその者に加わって下着を配ったということにならざるを得ないが、三〇分以内の間に被告人Bがこのような行動をとったと推認すべき証拠はなくいずれにしてもこの点Iの供述には疑問があるといわなければならない。

そして、Iの場合においてもFら前掲九名の者の場合と同様、当時物置内は相当暗く且つ混雑しており、同人にとっても配っている人物の人相等を正確に知覚するには困難な状況にあり、しかも同人も配っている人物について格別の注意を払わなかったと推認できること、右供述中には、下着を受け取る際よく知っているはずの被告人Bと会話なりあいさつなりを交わさなかった等やや不自然な点があること、また同人は当時の状況について相当記憶が曖昧な点が窺えること等を考慮すると、前に述べたように下着を配ってもらったとして捜査機関から窃盗の共犯として取調べを受け、いずれも配った犯人は被告人両名のうちのいずれかである旨供述した一〇名のうち、二名が証人として尋問されるとその供述を翻し、被告人両名以外の者が真犯人であると供述するに至り、七名の検面調書が所在不明を理由に取調べられたという公判経過、本件事案の性質等に徴しても、ひとりIの供述をよりどころとして被告人両名を有罪と断ずるには、なお躊躇を感じざるを得ない。これは被告人Bについて特に妥当することであるが、被告人Aについても結局同様に判断せざるを得ないものである。

五  結語

Iの供述に全面的に信を措きえず、下着を配った犯人と被告人両名との同一性について、未だ確信に到らなかった以上、前示のとおり、結局前記各検面調書をはじめ当公判廷において取調べた全証拠によっても、被告人両名を有罪にすることはできない。被告人Aについては、現場不在等の証拠はないが、被告人Bの場合と共通するIの供述、C、Gの検面調書等について、これまで述べてきたように判断せざるを得ない以上、結局被告人Aについても同様に、これらに信を措きえず、同被告人を有罪にすることはできない。

検察官は、本件事案の性質、公判経過に鑑み、本件捜査の経過、特に捜査機関が被告人両名を犯人であると決定するに至った経緯等についても適切な立証活動を行ない、また本件公訴事実の犯行時間についても、証拠を総合してより特定して、弁護人らに対しより適切な防禦活動をなしうるように配慮すべきであったと思料される。

以上のとおり、被告人両名が下着を配った犯人である疑はないわけではないが、他方前示のとおり被告人両名を犯人と断定するにはなお合理的な疑が払拭できず、結局本件公訴事実につき犯罪の証明がないことになるので、被告人両名に対し、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をすることとする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 桑田連平 裁判官 前原捷一郎 八木良一)

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